機械式置時計の修理に挑みます。旧西ドイツのW.Haid社製、丁寧に手作りされた木製
キャビネットが実に優美です。ランタンクロック、キャリッジクロック、ウェストミンスターチャイム
など、いくつかの名称があります。ネット上には、内外のオークションサイトにアンティーク品と
して数多く出品例が見られますが、W.Haid社に関する情報や技術的な資料は見つけられ
ません。時計修理店のWEBに、いくつかの修理例が概略的に掲載されている程度です。
職人の魂が込められた完成域にある精密機械と、果たして上手く対話できるでしょうか。
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ガラスがはめ込まれた木製ドアを開けます。高い
木工技術により正確に組み立てられています。
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W.Haid社の顔でもある重厚かつ精緻に
加工された金属製文字盤面です。
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おそらく同時期の製品と思われるMorton-Gain社
(スペイン)製のウェストミンスターチャイム時計です。
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同じく同時期の製品と思われるKIENZLE(西ドイツ)製
置時計。ムーブメントがほぼ同型で大変参考になります。
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ご依頼主からは故障や不具合の状況をほとんど説明いただけませんでした。
修理に先だって動作確認(操作法の確認)を行います。ゼンマイを巻いてみます。
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3個あるゼンマイのうち1個は空回りして巻き上げる
ことが出来ませんでした。故障の1つが判明しました。
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裏蓋ひとつにしても愛想のあるデザインです。
開けると内部にムーブメントと音叉が見えます。
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先ほどのKIENZLEとほぼ同型のムーブメントです。
既にOEMや提携・傘下関係があったのでしょうか。
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ムーブメント裏側プレートの刻印です。
軸受に宝石が2個使用されています。
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重厚なチャイム音を生み出す音叉部分です。5本のうち
手前3本で時報、奥4本でウェストミンスターを奏でます。
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深い音色は音叉を保持する鋳物基部と、音響
特性の良い木製キャビネットによるものです。
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1.本体の分解 |
取りあえずムーブメントを取り出さねば
なりません。文字盤側から作業します。
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長針・短針を留めている丸ネジを取り外します。
文字盤面を傷付けないよう気を付けます。
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長針が外れました。根元は4角ナットになって
おり、長針シャフトの4角ネジと嵌合します。
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続いて短針を外します。こちらはスリット入りの
スリーブが短針シャフトに自在に被るだけです。
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ムーブメントをキャビネットに固定している
金具と止め木ネジです。4か所あります。
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裏側から見て左上の木ネジを緩めます。
年代物ですが+ネジが使用されています。
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裏側から見て右上の木ネジを緩めます。
繊細なテンプの近くなので慎重に作業します。
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裏側から見て右下の木ネジを緩めます。
ここだけ木ネジが1本のみ打たれています。
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最後に左下の木ネジを緩めムーブメントを取り出します。
全体構造が分からないので、ゆっくり持ち上げます。
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ムーブメントの表側(文字盤側)が見えました。
裏側よりはるかに多くの部品が付いています。
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表側から見たムーブメントの全景です。ほとんど初めて
接する装置で、機構の複雑さに気が滅入ります。
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表側から見てムーブメントの右側面です。手前の
ゼンマイから何枚もの歯車が連なっています。
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上側を見ています。見たことのない構造の
テンプと速度調整用の風切車があります。
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2.ゼンマイの修理 |
既に見つかっているゼンマイの不具合を
修理します。シャフトの留めネジを緩めます。
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シャフトの留め金具が外れてきました。この作業の前に、
必ずゼンマイの巻きを解放しなければなりません。
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ゼンマイの巻戻り防止用歯車を取り外します。ゼンマイの
解放を忘れると、この時点で非常に危険な目に遭います。
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ゼンマイのシャフトを抜きます。シャフトの
側面には空回り防止用のキー溝があります。
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故障していると思われるゼンマイを取り出しました。
重量感のある精巧な加工が施されています。
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巻き上げ時にゼンマイが空回りするのは、最悪の場合
ゼンマイバネがどこかで破断している可能性があります。
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インナーシャフトの頭を軽く叩いて
ゼンマイケースのキャップを外します。
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インナーシャフトの側面の一部に、爪の
ような突起加工が施されています。
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幸いなことにゼンマイバネの破断はありません。ゼンマイバネの巻き始め
部分に小さな穴が開けられています。ここに先ほどの爪がかかるようです。
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巻き始め部分のカールが広がり、爪がかからない
のです。ラジオペンチでカールを狭めてやります。
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インナーシャフトを入れてみます。
しっかり爪がかかり空回りしません。
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元通りゼンマイケースに
キャップを戻します。
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非常にシビアな加工がなされています。
木槌で軽く叩くと隙間なく嵌り込みます。
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ムーブメントの元の位置にゼンマイを戻します。
きつくもなく緩くもなく加工精度が非常に高いです。
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側面のキー溝を合わせて、ゼンマイの
シャフトを奥まで差し込みます。
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巻戻り防止用歯車、シャフトの
留め金具を元に戻します。
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シャフトの留めネジを固定します。ゼンマイの
不具合修理だけで済めば有難いのですが・・・
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3.吊りテンプの修理 |
機械式時計の中で最重要部品に相当するのは
テンプであり、時計の心臓部と言われます。
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ご依頼主はこれで大丈夫なのだとおっしゃって
いましたが・・、直ぐに止まってしまいます。
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時間をかけてネット上を調べてみると「吊りテンプ」・
「吊り下げ型テンプ」という特殊なテンプのようです。
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ネット上にある画像を確認すると、中心部に
あるスプリングが整った形をしています。
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さらに詳しく調べるため、固定ネジを
緩めテンプ部を取り外してみます。
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明らかに不自然な形をしています。
スプリングの中にシャフトが1本見えます。
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ネット上にある画像では、スプリングの
中心部を正確にシャフトが貫通しています。
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さらに、シャフトの下端から細い針金が出ており、
この針金はシャフトの頭部から続いているようです。
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取り外したテンプを確認すると、中心のシャフトには
支えとなり位置を決めるものが何もありません。
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支えがないためシャフトはスプリングの中で
位置が定まらず遊んでいる状態です。
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問題が判明しました。シャフトは中空構造(パイプ)で中心に細いワイヤー(鋼線)を通すことで
位置が一定に保たれます。ワイヤーに張力を与えれば精密な直線となり、シャフトに固定された
天輪(テンプ本体)は摩擦抵抗が極小の状態で回転できます。そのワイヤーが破断しています。
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極細のワイヤー(ピアノ線)は、一方の端がフレーム裏の
上側突起に固定され、シャフトの上端から入って、
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シャフトの中心貫通穴を潜って下端に抜け、
フレーム裏の下側突起に固定されます。
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直線性を維持するためワイヤーには相当の張力を加え
ねばなりません。ストレスか誤操作で破断したのでしょう。
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ワイヤーを交換する必要があります。上下の
突起を起こしてワイヤーを取り除きます。
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破断したワイヤーが外れました。軸受に
頼らない見事な機構設計に驚かされます。
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シャフト内に入った先でワイヤーが妙な曲がり方をして
います。破断した後に無理な力が加わったのでしょう。
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取り外したワイヤーの太さを計測します。直径0.22mmの
ピアノ線(鋼線)です。同じものが入手できると良いのですが・・
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やはり近隣のホームセンターでは入手できませんでした。
工房に在庫があるのは直径0.28mmのステンレス線です。
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僅か0.06mmの違いですが、果たして
シャフト内を通ることができるでしょうか。
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残念ながら通りません。ゲージがないので確認
できませんが、かなり厳密に内径加工されています。
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サンドペーパーで挟んで往復し、
ステンレス線の直径を落とします。
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何とか貫通させることに成功しました。ワイヤーの
断面が正確な円でないことが少し気になります。
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貫通したワイヤーにより、シャフトの
位置が正確に保たれています。
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ワイヤーの一方の端をフレームの
突起に絡げて固定します。
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ワイヤーを強く引いた状態で、他方の
端をフレームの突起に絡げて固定します。
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テンプの修理完了です。ピアノ線の代わりにステンレス線を使用したので
多少耐久性に劣るかも知れませんが、切れたら再度張り直すだけです。
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正面から見た状態です。バランス良く
天輪が実に軽快に往復回転します
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シャフトの下端が宙に浮いているのは、スプリングの
下端に固定されて吊り下げられているからです。
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テンプをムーブメントの元の位置に戻します。
繊細な構造なので慎重に進めます。
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2本のネジを締め付けて
ムーブメントに固定します。
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ゼンマイを少し巻き上げるだけで、淀みなく軽快に時を刻み始め
ました。テンプの奏でる機械音(チッチッ)は優しく芯のある音色です。
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ゼンマイとテンプの修理を終え、
ムーブメントをキャビネットに戻します。
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長針・短針を取り付けて時刻を合わせます。
数時間様子を見ますが実に正確です。
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正確に時を刻むようになり時計として最小限の機能は復活したのですが・・。
新たに問題が見つかりました。音叉による重厚なウェストミンスターと時報、
それどころか15分毎に鳴るはずのチャイムが、一切聞こえてきません。
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