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昭和14年製掛け時計の修復(2020.4.15)

 
野田牛久線(県道46号)を野田方面に向かい市内大柏でTX高架をくぐり、その先の
常磐道を渡って進むと、間もなく取手豊岡線(県道58号)と300mほど合流する区間が
あります。右側に市立大野小学校が見えるところで再び46号と58号は分離し、58号は
やがて滝下橋を渡って栃木方面へ続き、一方46号は利根川の川岸へと向かいます。
橋がないので野田方面へ行けるはずもなく、そこは対岸へ渡る船着き場だったようです。
川岸に至る手前の46号はどこか旧街道のような風情と、かつて水運で賑わった集落の
面影を残し、その中にとりわけ歴史を感じさせる旧家があります。かつての醤油屋です。
 

醤油醸造所に併設された店舗で、勘定場の柱に
掛けられていたのがこの古い掛け時計です。

 

堅牢な木製箱に収められ、その背面に1枚の説明書きが
貼られています。昭和14年製、80年を経過しています。

 

いつから動かなくなったかも分からない
骨董品を、直して欲しいとのご用命です。

 

勘定場の佇まいとともに静かに年月を
過ごしてきたようで、「傷み」がありません。

 

木材の風化、文字盤の変色、時針(金属製)の錆び
など、自然に任せるままの変化があるのみです。

 

自分より15年も先輩ゆえ、殿様を拝診する侍医の
ような心境です。ガラス窓を開け時針を外します。

 

当時の店主が地元の時計屋(秋田時計店)に注文し、
精工舎(服部時計店)に製作依頼したそうです。

 

時計機構が収められた木箱を開けなければ
なりません。釘打ちで組み立てられています。

 

木材組織の中に埋もれていても
当時の鉄釘は錆びが進んでいます。

 

ニッパで釘の頭を掴もうとして板材の周囲を
抉ってしまいます。殿、申し訳ございません。

 

時計本体を吊り下げる金具がマイナスネジで
固定されています。錆に覆われています。

 

時計下部にも固定用金具が
あります。こちらも外します。

 

釘による固定は全て解除しましたが、板材同士が
固着しています。ドライバーを入れてこじ開けます。

 

時計機構が背板に取り付けられています。
修理歴がないとすると80年ぶりの開放です。

 

左右に2組のゼンマイを持つ比較的シンプルな機構です。大小の歯車、および
それらを前後で挟むプレートは真鍮製です。外装と異なり内部の機構は、埃の
侵入や錆の発生もなく予想に反して非常に綺麗です。木箱の密閉状態が良好
だったのか、それともやはりどこかでメンテナンスをうけているのでしょうか。
 

下部に展開する時報用音叉です。鋼鉄線を渦巻き状に
曲げ、ドーム型の共鳴器を介して木箱に固定されています。

 

壁面に吊り下げて動作を確認します。外観的に不具合が
ありそうには見えませんが、間もなく停止してしまいます。

 

時報用抵抗板のストッパーとガンギ車のシャフトに、
後から手作業で追加したと思われるワイヤーがあります。

 

数十秒は快調に刻みますが、ガンギ車の動作が何となく
ぎこちなく感じられます。軸受部を注意深く点検します。

 

シャフトの周囲に隙間が確認できます。シャフトか
軸受あるいは両方が、年月を経て摩耗しています。

 

シャフトを持ち上げると、ガンギ車が僅かに上方へ
移動します。この位置が本来の動作点でしょう。

 

アンクルを点検すると、ガンギ車が下がり出爪の
表面に刃先が深く入り込んだ跡が確認できます。

 

ガンギ車軸受は摩耗することを考慮し、プレートではなく
別部品のステーにあります。交換したいところですが・・
 

ステーは真鍮製のリベットでカシメられており、
カシメを壊す際に全体をストレスに晒しそうです。

 

簡単な方法として、ステーを僅かに
変形させて位置を上方に修整します。

 

ガンギ車のシャフトも上方に移動するので
アンクルとの当たりが元に戻るはずです。

 

無事に連続動作するようになりました。数時間
様子を見ていますが、時刻も結構正確です。

 

ところが、次の不具合が発覚します。時報
(ボーンボーン)が途中で停止してしまいます。

 

抵抗板(羽根車)の回転が鈍く、羽根車に至る一連の
減速ギヤやゼンマイで抵抗が大きくなっているようです。

 

出来れば避けたい作業ですが、プレートを外し
ギヤを取り出して軸受のクリーニングを行います。

 

強力なゼンマイなので万一暴れると非常に危険です。
ワイヤーで固定してからプレートを慎重に外します。

 

プレートが浮き上がってきました。分解はまだ気楽ですが、問題は元に戻す際に
間違いなく組み上げられるかです。ギヤの構成や位置を写真に収めておきます。

 

開けてしまいました、もう後には引けません。修理に成功しご依頼主にドヤ顔で
お返しするか、手に負えず土下座でお詫びするかのどちらかです。一抹の不安に
かられるも、同時に80年前の精巧極まるメカニズムを前に、気持ちが高まります。
 

左右2組のゼンマイから、同じく左右に分かれた
刻時用と時報用2系統の機構が駆動されます。

 

全てのギヤを抜き、シャフトの先端部およびプレートの軸穴を
アルコールで丁寧に洗浄します(軸穴清掃には爪楊枝を使用)。

 

時刻に対応した回数だけ時報を鳴らす仕組み、それは
驚異的と言えるほど(知識ではなく)知恵に富んだ産物です。

 

今の子供たちに是非見せたい工夫と創造です。組み上げると
快調そのものです。追加されていたワイヤーも取り除きます。

 

アンクルが「チッ・カッ・チッ・カッ」と規則正しくガンギ車を刻みます。修理前のように調子が
崩れていると「チッカ・チッカ」または「チカッ・チカッ」と不規則な音を発し、間もなく停止します。

 

機構の修理を終えたので、すっかり
古びてしまった外装を修復します。

 

ガラス窓を外します。真鍮製の円形
フレームに取り付けられています。

 

フレームを分解します。内側に折り
曲げられたツメを解除するだけです。

 

80年前のガラスです。破損しないよう慎重に
取り外し、洗剤を付けて水洗いしておきます。

 

真鍮製のフレームは酸化膜が成長し黒く変色しています。
少々乱暴ですがディスクサンダーで一挙に落とします。

 

真鍮の黄金色が蘇ります。残念ですが
鏡面に仕上げるまでの時間はありません。

 

それでもここまで美しさを取り戻しました。手に入れられた当時はこの輝きだった
はずです。工房での修復作業は、新品部品への交換や塗装の塗り替えではあり
ません。あくまでも、その製品が新品であった当時の状態に戻すことを目指します。

 

時計の本体外装は丁寧な木材加工による
丸型で、傷や変形がほとんどありません。

 

フロアワックスを使用して表面の汚れを
落としながら、元の塗装に光沢を与えます。

 

さすがに変色の進んだ文字盤は元に戻せないので、新しく
製作します。時刻の文字フォントはスキャナで取り込みます。

 

「SEIKOSYA」など小さな文字は、ほぼ
近いフォントがあるので代替させます。

 

レタッチソフトとCADを組み合わせ、白色
ケント紙から真新しい文字盤を作ります。

 

元の文字盤に取り付けられている、
ゼンマイ巻き上げ穴周囲の補強金具です。

 

ツメを起こして取り外し、コンパウンドで
研磨してから再利用します。

 

金属ベースに新しい文字盤を貼り付け、
表面に開いていた穴を開け直します。

 

元の文字盤は剥がさず弱粘着性のスプレー糊で
貼り付けたので、下に80年の歴史が残っています。

 

レタッチによりスキャナーのシャギーを出来るだけ
取り除きましたが、残念ながら少し残っています。

 

光沢が失われた真鍮製の振り子です。
内部に吊り下げられ外からは見えません。

 

それでも折角なので研磨します。小さなネジは
振り子の周期を微調整するバラストになります。

 

振り子の上方で動作する凸面ミラー状の金属板
です。文字盤表面の穴から動きが見えます。

 

時計機構を木箱に戻します。ここは
無理せず、木ネジで固定します。

 

修復が進むと、80年もの長い年月が薄れてきます。
現在のリビングにもマッチするのではないでしょうか。

 

最後に長短時針を修復します。針の歪みを修正し、
表面を研磨してから元と同じ黒で塗装し直します。

 

長針の脱落防止用化粧金具です。真鍮製
ですが研磨が難しいのでゴールドで塗装します。

 

時針を取り付けると、この掛け時計に
与えられた風格が周囲に漂います。

 

化粧金具の上に脱落防止用の小さなピンを
差し込みます。素朴な構造に感心します。

 

修復作業の完了です。80年前、戦前の
古き郷土へ旅してきたような気分です。

 

定時ごとに「ボーンボーン」と時報が響きます。「ボーン」の中には意外と周波数の高い
金属音が含まれ、電気もスピーカーも使わずに広い店舗の隅々にまで時刻を伝えていた
はずです。まだ小学校にも入らない子供の頃、お爺ちゃんお婆ちゃんの家で聞いた、心の
底を揺さぶられるような懐かしい、懐かしい音色です。修復した私よりも長生きするのでは。


 
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