野田牛久線(県道46号)を野田方面に向かい市内大柏でTX高架をくぐり、その先の
常磐道を渡って進むと、間もなく取手豊岡線(県道58号)と300mほど合流する区間が
あります。右側に市立大野小学校が見えるところで再び46号と58号は分離し、58号は
やがて滝下橋を渡って栃木方面へ続き、一方46号は利根川の川岸へと向かいます。
橋がないので野田方面へ行けるはずもなく、そこは対岸へ渡る船着き場だったようです。
川岸に至る手前の46号はどこか旧街道のような風情と、かつて水運で賑わった集落の
面影を残し、その中にとりわけ歴史を感じさせる旧家があります。かつての醤油屋です。
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醤油醸造所に併設された店舗で、勘定場の柱に
掛けられていたのがこの古い掛け時計です。
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堅牢な木製箱に収められ、その背面に1枚の説明書きが
貼られています。昭和14年製、80年を経過しています。
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いつから動かなくなったかも分からない
骨董品を、直して欲しいとのご用命です。
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勘定場の佇まいとともに静かに年月を
過ごしてきたようで、「傷み」がありません。
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木材の風化、文字盤の変色、時針(金属製)の錆び
など、自然に任せるままの変化があるのみです。
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自分より15年も先輩ゆえ、殿様を拝診する侍医の
ような心境です。ガラス窓を開け時針を外します。
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当時の店主が地元の時計屋(秋田時計店)に注文し、
精工舎(服部時計店)に製作依頼したそうです。
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時計機構が収められた木箱を開けなければ
なりません。釘打ちで組み立てられています。
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木材組織の中に埋もれていても
当時の鉄釘は錆びが進んでいます。
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ニッパで釘の頭を掴もうとして板材の周囲を
抉ってしまいます。殿、申し訳ございません。
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時計本体を吊り下げる金具がマイナスネジで
固定されています。錆に覆われています。
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時計下部にも固定用金具が
あります。こちらも外します。
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釘による固定は全て解除しましたが、板材同士が
固着しています。ドライバーを入れてこじ開けます。
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時計機構が背板に取り付けられています。
修理歴がないとすると80年ぶりの開放です。
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左右に2組のゼンマイを持つ比較的シンプルな機構です。大小の歯車、および
それらを前後で挟むプレートは真鍮製です。外装と異なり内部の機構は、埃の
侵入や錆の発生もなく予想に反して非常に綺麗です。木箱の密閉状態が良好
だったのか、それともやはりどこかでメンテナンスをうけているのでしょうか。
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下部に展開する時報用音叉です。鋼鉄線を渦巻き状に
曲げ、ドーム型の共鳴器を介して木箱に固定されています。
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壁面に吊り下げて動作を確認します。外観的に不具合が
ありそうには見えませんが、間もなく停止してしまいます。
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時報用抵抗板のストッパーとガンギ車のシャフトに、
後から手作業で追加したと思われるワイヤーがあります。
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数十秒は快調に刻みますが、ガンギ車の動作が何となく
ぎこちなく感じられます。軸受部を注意深く点検します。
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シャフトの周囲に隙間が確認できます。シャフトか
軸受あるいは両方が、年月を経て摩耗しています。
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シャフトを持ち上げると、ガンギ車が僅かに上方へ
移動します。この位置が本来の動作点でしょう。
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アンクルを点検すると、ガンギ車が下がり出爪の
表面に刃先が深く入り込んだ跡が確認できます。
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ガンギ車軸受は摩耗することを考慮し、プレートではなく
別部品のステーにあります。交換したいところですが・・
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ステーは真鍮製のリベットでカシメられており、
カシメを壊す際に全体をストレスに晒しそうです。
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簡単な方法として、ステーを僅かに
変形させて位置を上方に修整します。
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ガンギ車のシャフトも上方に移動するので
アンクルとの当たりが元に戻るはずです。
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無事に連続動作するようになりました。数時間
様子を見ていますが、時刻も結構正確です。
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ところが、次の不具合が発覚します。時報
(ボーンボーン)が途中で停止してしまいます。
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抵抗板(羽根車)の回転が鈍く、羽根車に至る一連の
減速ギヤやゼンマイで抵抗が大きくなっているようです。
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出来れば避けたい作業ですが、プレートを外し
ギヤを取り出して軸受のクリーニングを行います。
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強力なゼンマイなので万一暴れると非常に危険です。
ワイヤーで固定してからプレートを慎重に外します。
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プレートが浮き上がってきました。分解はまだ気楽ですが、問題は元に戻す際に
間違いなく組み上げられるかです。ギヤの構成や位置を写真に収めておきます。
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開けてしまいました、もう後には引けません。修理に成功しご依頼主にドヤ顔で
お返しするか、手に負えず土下座でお詫びするかのどちらかです。一抹の不安に
かられるも、同時に80年前の精巧極まるメカニズムを前に、気持ちが高まります。
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左右2組のゼンマイから、同じく左右に分かれた
刻時用と時報用2系統の機構が駆動されます。
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全てのギヤを抜き、シャフトの先端部およびプレートの軸穴を
アルコールで丁寧に洗浄します(軸穴清掃には爪楊枝を使用)。
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時刻に対応した回数だけ時報を鳴らす仕組み、それは
驚異的と言えるほど(知識ではなく)知恵に富んだ産物です。
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今の子供たちに是非見せたい工夫と創造です。組み上げると
快調そのものです。追加されていたワイヤーも取り除きます。
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アンクルが「チッ・カッ・チッ・カッ」と規則正しくガンギ車を刻みます。修理前のように調子が
崩れていると「チッカ・チッカ」または「チカッ・チカッ」と不規則な音を発し、間もなく停止します。
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機構の修理を終えたので、すっかり
古びてしまった外装を修復します。
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ガラス窓を外します。真鍮製の円形
フレームに取り付けられています。
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フレームを分解します。内側に折り
曲げられたツメを解除するだけです。
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80年前のガラスです。破損しないよう慎重に
取り外し、洗剤を付けて水洗いしておきます。
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真鍮製のフレームは酸化膜が成長し黒く変色しています。
少々乱暴ですがディスクサンダーで一挙に落とします。
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真鍮の黄金色が蘇ります。残念ですが
鏡面に仕上げるまでの時間はありません。
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それでもここまで美しさを取り戻しました。手に入れられた当時はこの輝きだった
はずです。工房での修復作業は、新品部品への交換や塗装の塗り替えではあり
ません。あくまでも、その製品が新品であった当時の状態に戻すことを目指します。
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時計の本体外装は丁寧な木材加工による
丸型で、傷や変形がほとんどありません。
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フロアワックスを使用して表面の汚れを
落としながら、元の塗装に光沢を与えます。
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さすがに変色の進んだ文字盤は元に戻せないので、新しく
製作します。時刻の文字フォントはスキャナで取り込みます。
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「SEIKOSYA」など小さな文字は、ほぼ
近いフォントがあるので代替させます。
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レタッチソフトとCADを組み合わせ、白色
ケント紙から真新しい文字盤を作ります。
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元の文字盤に取り付けられている、
ゼンマイ巻き上げ穴周囲の補強金具です。
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ツメを起こして取り外し、コンパウンドで
研磨してから再利用します。
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金属ベースに新しい文字盤を貼り付け、
表面に開いていた穴を開け直します。
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元の文字盤は剥がさず弱粘着性のスプレー糊で
貼り付けたので、下に80年の歴史が残っています。
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レタッチによりスキャナーのシャギーを出来るだけ
取り除きましたが、残念ながら少し残っています。
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光沢が失われた真鍮製の振り子です。
内部に吊り下げられ外からは見えません。
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それでも折角なので研磨します。小さなネジは
振り子の周期を微調整するバラストになります。
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振り子の上方で動作する凸面ミラー状の金属板
です。文字盤表面の穴から動きが見えます。
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時計機構を木箱に戻します。ここは
無理せず、木ネジで固定します。
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修復が進むと、80年もの長い年月が薄れてきます。
現在のリビングにもマッチするのではないでしょうか。
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最後に長短時針を修復します。針の歪みを修正し、
表面を研磨してから元と同じ黒で塗装し直します。
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長針の脱落防止用化粧金具です。真鍮製
ですが研磨が難しいのでゴールドで塗装します。
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時針を取り付けると、この掛け時計に
与えられた風格が周囲に漂います。
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化粧金具の上に脱落防止用の小さなピンを
差し込みます。素朴な構造に感心します。
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修復作業の完了です。80年前、戦前の
古き郷土へ旅してきたような気分です。
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定時ごとに「ボーンボーン」と時報が響きます。「ボーン」の中には意外と周波数の高い
金属音が含まれ、電気もスピーカーも使わずに広い店舗の隅々にまで時刻を伝えていた
はずです。まだ小学校にも入らない子供の頃、お爺ちゃんお婆ちゃんの家で聞いた、心の
底を揺さぶられるような懐かしい、懐かしい音色です。修復した私よりも長生きするのでは。
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