これまでご用命いただいた修理品の中で、おそらく
製造年が最古と思われる製品が持ち込まれました。
ゼンマイで動作する完全機械式蓄音機です。ターン
テーブルの回転はおろか音声の再生にも電気は一切
使用されていません。製造時期を調べると驚きです。
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側面に携行用取っ手の付いた
重厚な黒塗りの木箱です。
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ロックを解除すると蓋部分が
上方向に持ち上がります。
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姿を現したのは、機械式蓄音機
つまりレコードプレーヤーです。
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手前にターンテーブル、奥にピック
アップとトーンアームが見えます。
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Columbia(コロムビア)社製、Viva-tonal Grafonola
(ビバトーナル グラフォノーラ)のシリーズでMODEL-
NO.203の銘板が貼られています。ネットで調べると
1930年代(昭和5年~)に製造・販売されたそうです。
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トーンアーム部は「サウンドチューブ
(音管)」と呼ばれています。
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各部を説明する図版が
こちらにあります。
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ピックアップ部は「サウンドボックス
(發音器?)」と呼ばれ、複雑で精巧な造りです。
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サウンドボックスの構造を説明する図版が小林理研
ニュースにあります。中心の振動版は金属箔です。
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ターンテーブルの動力となるゼンマイを
巻き上げるハンドルが付属しています。
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側面の穴にハンドルを差し込むと
ゼンマイを巻くギヤに連結します。
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何とかゼンマイは巻き上がるのですが、
ターンテーブルの回転が酷く不安定です。
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しばらく調子良く回転すると、間もなく
回転が落ちて停止寸前状態になります。
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停止するかと思いきや再び回転が戻り、
とてもレコード再生どころではありません。
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周囲の固定ネジを緩め、木箱に
納まっていた機構全体を取り出します。
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ターンテーブルの脱落を防止する
スナップリングを外します。
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ダイキャスト製?・・と思われる重量のある
ターンテーブルです。上に引き抜きます。
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それなりに慣性質量がありそうで、
レコードの安定回転に貢献するでしょう。
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ターンテーブル下のボード(木製)です。中心に
回転シャフト、周囲にレバーが配置されています。
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サウンドチューブが左回転して演奏位置に
移動する時、このレバーを右回転させます。
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レバーの先端がシャフトの突起から
外れ、シャフトが回転し始めます。
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反対側の小さなレバーは、ターン
テーブルの回転を内側から押さえます。
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目盛りの付いたこちらのレバーは
内部に連動して回転数を調整します。
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ボード面の穴を通し、内部から顔を出す
金具に調整ネジが接触しています。
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作業の邪魔になるのでサウンド
チューブを外しておきます。
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取り付け位置を再現できるよう
回転部分にマーキングします。
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サウンドチューブは回転部分から
本体の共鳴管へつながります。
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本体を裏返し内部を確認します。共鳴管が断面積を変化
させながら方向を90度変え、その内側にターンテーブルを
回転させるゼンマイ式のムーブメントが配置されています。
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ムーブメントは重厚な金属部品の塊・・と
いった感じで、かなりの重量があります。
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ムーブメントをボードに固定して
いるのはこちら側のネジでした。
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ムーブメントが離れると、ボードの
重量が一挙に軽くなります。
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優美な形状をした共鳴管の全貌です。
金属板を巧みに加工して作られています。
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サウンドチューブ内の空気振動が
ここから共鳴管に入り徐々に共鳴し、
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可聴域の音量まで増幅されて出口から
放出されます。電気とは全く無縁です。
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取り出したムーブメントの点検に入ります。不安定なターンテーブル
回転の原因は、およそこのムーブメントの動作不具合にあります。
ムーブメントのフレームは恐ろしくがっちりしたダイキャスト部品で、
内部で大きな力を発生・伝達し、それをしっかり受け止めています。
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ムーブメントに組み込まれている大型で
強力なゼンマイです。この回転力が、
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厚みのある頑丈なピニオンや平歯車を
介してターンテーブルを回転させます。
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このウォームギヤはゼンマイ巻き上げ
ハンドルにつながり、一方向にのみ回ります。
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一方、ターンテーブルの回転数を一定に保持
するため、特別な装置が組み込まれています。
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遠心式調速機いわゆるガバナーです。18世紀末にジェームズ・ワットが
開発した蒸気機関に組み込まれ、回転する剛球の遠心力によりリンクを
作動させます。蓄音機に用いられているのは、シャフトが垂直に立つ円錐
振り子式ではなく、剛球代わりの真鍮球3個が水平に配置される形式
です。真鍮球は3枚の板バネにより押さえ付けられており、バネの反力に
逆らうことで回転半径を変化させ、ある回転数に達すると均衡します。
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ガバナーシャフトの先に真鍮製のディスクが取り付けられて
おり、真鍮球の回転半径が変化すると左右に移動します。
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回転数が上がりディスクが右方向に移動すると、回転数
調整レバーに連動するブレーキシューに接触します。
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機械の面白さを存分に味わわせてくれる驚きの仕組み
です。しかし、回転が不安定の理由はまだ分かりません。
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ムーブメントの頑丈な
プレートを外します。
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ゼンマイの回転力が伝達されていく
機構が、さらに明確になってきます。
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90年近く経過しているので、やはりゼンマイの
不調、サビ・固着・破断・脱落などを疑います。
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ゼンマイ巻き上げ用の平歯車は差し込んで
あるだけです。内部を点検することにします。
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これだけ強力なゼンマイなので、ケースを開けた
瞬間に猛烈な勢いで飛び出す危険があります。
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顔を背けながら伝達用平歯車を兼ねた蓋を開けます。
ゼンマイが暴れる気配はありませんが、ゼンマイバネが
古いグリスに埋もれています。ひどく変質したグリスが
接着剤の働きをし、巻き上げも巻き戻りも妨げています。
意を決してゼンマイバネを中から引き出し、付着した
古いグリスをふき取り、新しいグリスと共に戻します。
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ゼンマイはほぼ完全に機能するも、まだ回転が
安定しません。次はガバナー周辺を疑います。
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しかし、回転数を安定させる機構が逆に
不安定にしているようには思えません。
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ガバナーシャフトの軸受け部を点検します。
ベースと一体成型の支柱にネジ固定されています。
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ネジを緩めると、先にスリーブが抜けてきます。
シャフトはこのスリーブで間接的に保持されます。
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シャフトの先端を受ける穴は、スリーブの中心
から少しずれて(オフセット)開けられています。
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スリーブを回転させると、オフセットの働きによりガバナー
シャフトと隣のウォームギヤの間隔を微妙に調整できます。
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軸受けも特に問題ありません。ガバナーを
取り外した状態で色々イジリまわしていると、
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遠心力で真鍮球が広がる時、ディスクを含む
アセンブリが内側に引き寄せられてきます。
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アセンブリを強制的に内側に移動させてみると、
そこで止まったままで元に戻ってきません。
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その昔、塗り付けられたグリスが固着し
アセンブリの水平移動を妨げています。
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ガバナー全体を溶剤で洗浄して古いグリスを
完全に落とし、潤滑油を十分に行き渡らせます。
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ディスクを含むアセンブリの左右移動が
見違えるほどスムーズになります。
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ムーブメントを元の状態に組み上げ、ゼンマイを巻いてみます。
回転数調整レバーを低回転に調整すると、真鍮球が小半径で
回転し、ディスクも写真左方向に寄ってシューに当たっています。
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回転数調整レバーを高回転側に調整すると、連動するシューが
写真右方向に移動しディスクも右にずれて、その分真鍮球の回転
半径が大きくなります。ディスクを含むアセンブリが素早く左右に
移動できるため、回転数を自在に調整できます。逆に、固着して
移動が妨げられていたことで、なかなか回転数が上がらず、かつ
一度上がった回転数が元に戻らない、という当初の不具合を
もたらしていたと考えられます。原因判明、不具合解消です。
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あらためて回転数調整レバーを操作してみると、
かなりの範囲を調整可能で驚くほど滑らかです。
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ところで、いくら見た目正常に動作しているようでも
実際にレコードを演奏できるのかは分かりません。
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修理品引き取りの際に、ご依頼主が
レコード(SP盤)を持参下さいました。
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演奏に不可欠な専用スタイラスも用意されています。
1本当たりレコード数枚を演奏すると寿命だそうです。
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スタイラスは鋼鉄製で、ソフトトーン、ミディアムトーン、
ラウドトーンの順で太くなり、再生音も大きくなります。
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すり減ったスタイラスは研磨して使用することもある
そうで、当時のオーディオの楽しみ方が偲ばれます。
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もっとも、ご依頼主は現代に在って敢えてこの
レトロな蓄音機を楽しまれているわけです。
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昔のLPレコードが良かった、カセットテープも悪くない、
真空管アンプが云々、といった懐古趣味を超越しています。
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この蓄音機の製品名である「グラフォノーラ」は、おそらく
ドイツのレーベル「グラモフォン」と無関係ではないでしょう。
トーマス・エジソンが円筒式蓄音機(フォノグラフ)の特許を
取得したのが1877年、10年後の1887年にエミール・
ベルリナーが円盤式蓄音機(グラモフォン)を発明、さらに
10年後の1898年にグラモフォン社が設立されます。
同社は蓄音機の製造と同時に、当時の有名アーティストと
契約して数々のレコードを送り出します。日本国内では
1907年に設立された日米蓄音機製造株式会社が、
1910年に国産初の蓄音機を製造・販売し、日本蓄音器
商会として法人化された後、日本コロムビアに発展します。
正に今回の修理品グラフォノーラNo.203登場の頃です。
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蓄音機が最初のピアノ音を発した瞬間、本当に驚きました。
音量・音質ともに、聴くに堪えます。聴くに値します。溢れる
ほど聴く楽しさがあります。当時のアーティストの音楽性、
それを聴いた人々の娯楽性、当時の文化的様相が純粋に
伝わってきます。(頭を冷やして)音量・音質とも後の電気
方式には遠く及ばないとはいえ、当時の機械技術がほぼ
全投入されたムーブメントやサウンドボックスには脱帽です。
聴く楽しさを追求するために払われた努力は測定不能です。
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